はじめて真弓香さんにお会いしたのは、2001年のことです。当時、私は日本の大学院で映画産業について学んでいましたが、卒業後そのまま日本で就職をするか、それとも以前から考えていたアメリカの映画学校への留学に思い切ってトライしてみるかどうか、思い悩んでいる頃でした。
香さんにお会いすると、映画に関するものは私自身に非常に向いているので、是非留学を、と勧めて頂きました。 しかし、留学先の選択には慎重に考えた方が良いということで、アストロカートグラフィで最適な場所を観て頂くことにしました。
母子手帳にあった出生時刻は午前0時50分だったのですが、香さんのレクティフィケーションによって、それより21分早い午前0時29分が正確な出生時刻だと判明しました。
この約20分の差はアストロカートグラフィでは約500キロの差に相当するらしく、私が当初留学先に考えていたロサンゼルスが、ちょうど土星の影響を強く受ける場所となり、留学先としては向いていないことが判ったのです。土星は困難や抑圧を意味しているとの理由からでした。
そのかわり、ロスよりも北緯4度異なるサンフランシスコが移住先として最も良いことが、アストロカートグラフィに示されていました。サンフランシスコには、成功、幸運、などを意味する太陽と金星のラインがくっきりと通っていたからです。
偶然にも、サンフランシスコには留学先候補の一つとして考えていた映画学科があり、さらにはその学科が、香さんご自身も卒業された美術大学に属していることを知り、不思議なご縁を感じたこともあって、サンフランシスコへ留学を決めました。
たった一人、知り合いすらいないサンフランシスコでしたが、移ってから数ヶ月もしないうちに、次々といろいろ素晴らしい人々との出会いに恵まれました。
学校で出会った友人たちとは一緒に映画製作をする過程で本当に助けてもらいましたし、生涯の財産とも言える友人と出会うこともできました。
金星の場所は「一生涯の友人と会える」という意味もあるそうですが、ほんとうにその通りだと実感しました。
また、知人の紹介から,卒業後就職することになる会社の社長にもお会いすることが出来ました。太陽の場所では、「有力者と出会う」という意味がありますが、会社の社長は、ニューズウイーク誌で、「世界が尊敬する日本人100人」の中にも選ばれた人で、これも、ぴったりな出来事だと思いました。
そして、映画学校を卒業した年にはそのまま、その会社で新しく立ち上げた映画配給事業の責任者として就職できたばかりか、会社からビザをサポートして頂くという幸運にも恵まれました。
留学中に,外国人が正式な就労ビザを現地で取得して職を得ることがいかに大変かを散々聞かされていたため、申請してから一週間もしないうちに米国移民局からすんなり就労許可が出たときには思わず目を疑ってしまいました。
就労ビザの取得をサポートして頂いたお礼がしたいと思っていたところ、社長の自叙伝を日本で出版するという話があるというので、その執筆をお手伝いさせて頂くことになりました。
本は2006年の夏に無事出版することができ、さらに光栄なことに、構成者として私の名前も本の表紙に記載していただけました。そして、この本は、日本の大手新聞や雑誌などでも取り扱われ、メディアからの大きな反響を頂くことができました。
現在は、第二の故郷であるサンフランシスコで新しい事業の展開に取り組み、長年の目標でもある本格的映画製作の企画をすすめているところです。
最初にお会いしたとき、香さんは私に、「人生に必要なのは、決意と実行です。」とおっしゃいました。今でも、そのときのことをよく思い出します。
香さんが読み取るホロスコープやアストロカートグラフィは、その決意を後押しするための非常に具体的なヒントなのだと確信しています。
(ミステリー・チャンネル「ムー不思議レポート」にて紹介されたクライアントの例)
<国際援助機関スタッフ 、向井明代さん>
向井明代さんはカナダの大学で開発学の修士号を取得し、97年に帰国。そして、その数ヵ月後に国際援助隊員に採用されることが決まりました。
私と明代さんが初めて会ったのは、ちょうどこの頃です。
「コソボに行こうか、どうしようかと迷っています。ちゃんとやっていけるか不安です」
全く経験のない彼女が、民族紛争のまっただ中に飛び込んでいくわけですから心配でたまらないことはよくわかります。
しかし、私はまるでマントラを唱えるかのように、「大丈夫。 絶対大丈夫。こんなにいい時期に、こんなにいい場所にいくのよ。現地ではすばらしい活躍が約束されているから、この機会を辞退なさらないように。必ずコソボに行ってくださいね。」と何度も何度も彼女に向かってこの言葉を繰り返しました。
私が住むベイエリアでは毎朝NHK制作「クローズアップ現代」が放送され、私はこの番組を見てから1日をスタートします。ある朝コソボの特集が放映されました。そして、そこには、向井明代さんが映っていました! それも彼女の活動を一部始終取材していまのコソボの現状を伝えるという、いうなれば、この番組の主人公として登場したのです。
向井明代さんは現在、IMO(International Organization for Migrants・国際移民機構)で、元アルベニア人兵士を戦争前にいた社会に戻すというミッションを掲げたプログラムに携わっています。畑を耕すトラクター、あるいは、家畜など生活するために必要な物をIMOが支給する代わりに、セルビア人と戦うことを考えずに、武器を捨て村に戻って元の生活を営むよう人々を説得するのが彼女の仕事です。
元共産国、そして、イスラム教徒という側面もあり、西欧諸国の常識がここでは通じない苛立ちが伝わってきます。元兵士の荒くれ者を相手に毎日戦いのような日々を送り、そして、コソボの独立問題を解決するために奔走する彼女の様子が報道されました。
向井明代さんにとってのコソボは金星ラインのところ。 金星は、反射率の高い惑星で「宵の明星、明けの明星」と言われる美しく輝く星。偶然にも明代さんの名前「明」とも重なって、彼女は輝くコソボの平和の星となりました。
また、サイクロでも「スターになる」太陽ラインがここを通過してます。このふたつの星が一緒になるところでは、「あなたは、愛と光りと美を放出し....たぶん賞や評価を獲得したり、あなたの仕事を称賛してもらえます」(ACG)コソボの将来はまだ暗澹としていますが、少なくともテレビを通じて1人でも多くの人に「世界平和」のメッセージが届けられたことは、大きな成果です。(以下省略)
<本人のコメント>
99年8月にキリスト教のアドベンティスト系の国際援助組織からコソボに派遣され、始めの2ケ月は移動クリニックのコーディネーターをしていましたが、香さんから「子供に関することに注目しておいて」と言われていたので、子供の地雷教育プログラムに移動し、毎日地方の村をまわり、子供たちと接していました。
そして、たまたま現在私が所属しているIMO(International Organization Migrants)が人手が足りないと聞き、以前の団体との契約が切れると同時にIMO に移籍しました。もし、移動クリニックに残っていたら、2ケ月はやくコソボを発っており、IMOとの契約は無かったと思います。
NHK の放映は父が喜んでいたようです。それまで、「危ないところでにわざわざ出て行って、一体明代は何をしているのか」と口でははっきり言われないまでも、ひしひしと感じられたのですが、NHKの取材で娘が何をやっているのかわかって安心したようです。 このことが私にとっての一番の収穫でした。
また、香さんに「1999・2000年に出会いがあるわよ」と予見されていたのですが、そのとおり素敵な出会いがありました。彼は、コソボで崩壊した家を再建するオーストラリア人の建築士です。彼を始め、私の直接の上司や同僚、現地人スタッフ、みんないい人ばかりで、コミュニケーションが大の苦手な私が、人間関係で悩むことなく仕事できるのは本当にラッキーなことと、感謝しています。これも星のパワーなのだと感じます。
(真弓香著 パワーゾーン/VOICE刊 より一部省略して記載) |